名付けの親の話

親が子育てに熱心だったであろう奴とそうでないであろう奴、風呂で小中学校でクラスメートだった連中の顔を思い出しながら考えてみると今ならはっきり区分け出来るような気がする。あいつのジャージいつもよれよれだったよなあなんていうのはあいつ自身のせいじゃ無かったんですよね、今思い返してみれば。

ただ、それで無関心で無責任な親だったかというとそうではなかったはず。というのも連中に限って名前が格好良かったからです。教師も純粋にいい名前だと誉めていたし同世代の日本人らしい名前として照らし合わせてみてもいい名前だと素直に評価できる。

ギャグみたいな名前を子供につける頭のおかしい親の話がたまに出ますけど、こうやって同級生として大人になった時の価値観で思い出してみると「あいつの親は子供のことなんかなんとも思っちゃいなかったんだろうな」と、たった名前一つで見透かされてしまうとしたら、本人に責任は無いことなのに全くひどい話です。

親の問題ではなく本人自身の問題なのだから、名前はある程度成長した時に自分で変更も出来るようにすればいいのにと思うことがたまにあります。自分の性格と名前が全然合ってないのもなんだかいやなものなのです。これはまあ、自分の個人的な事情。親として一生懸命考えてくれたのは分かるんだけど俺の両親って今で言うところのオタだったのかなとかたまに不安にさせられる微妙な名前だったりするもので。そう言い切ってしまうのも随分無責任な子供ですけどね。

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このページは2006年9月 4日に書いたブログ記事です。

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