ネットというもう一つの世界が新しい社会を形成し、人は2つの世界を行き来しながら時として全く別の人格を演じつつ生きることを楽しむ・・・劇場版・攻殻機動隊に示され、忘れ得ぬ印象を残した「新しい世界」の幻は未だ消えず。
ネットの普及がマニア達の手をあまりにもあっさりと飛び越え、あまりにもカジュアルに社会と融合してしまった今となっても、あの平行した2つの世界を生きる未来がいつか来ることを夢見てしまうのはインターネット第一世代の哀れなる回顧趣味なのでしょうか。
まあ、別にそれはいいのです。夢はいつか覚める。しかし、そこに、覚めた夢がまた戻ってくるかもしれないとしたら? 他愛もない悲観主義者達の児童ポルノ規制とその先に見える最悪のシナリオを見ていたら、ふとそんな妄想にとらわれました。
”日本限定で”ネットの無い社会が生まれたとしたら、富める難民と力ある企業はどれだけの数が日本を捨て、神経を失った日本はいかにして後進国以下の存在に成り果てるでしょうか。知識によるアングラから、本当の意味の法によるアングラと化した日本ネット社会はどのように変容を遂げるでしょうか。
現実と仮想の世界に強烈な断絶を作るなら、このくらいの障壁があったほうがすんなりいくかもしれませんね。ただその法整備が「人権」というたった一つのキーワードで達成されてしまうような狂行を人々が許すのなら、現実の世界はその時点で文化的に終わってますけど。
幸いこんな悲観主義は冗談になる程度に我々にはまだ責任と自由が認められていますが、やがては全身全霊をもって牙をむかなければならない日が近づいているのでしょうか。くだらない妄想に無碍に時間を費やしてしまうあたり、ただ考え事に集中できる部屋というのも良くないものです。
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