日本とアメリカのネット文化が決定的に異なる点はアメリカにおけるネットがもう一つのメディアとして社会に融合したのに対し、日本のネットはもう一つの世界として平行する社会を志向していることです。
既存メディアの正義と真実を疑い、時として現実社会の個人に牙をむきネット社会にいることについての認識の甘さと無知をあざ笑う。「普段はこちらが不安になるくらいおとなしいのに、ある一線を越えると猛然と牙をむく」とは英宰相・チャーチルが日本外交について述べた言葉だそうですが、日本のネットはこの後者を保管する格好の舞台として現実世界との一体化を拒否しているように見えます。
この例だけ出せば負でしかありませんが、少なくとも普段の生活ではあまり表に出すことのない極めてシンプルな自己責任の世界、すなわちアメリカ型社会を手軽に体現するにはインターネットという新天地は日本社会にとって都合のいい存在でした。「思いやり」と「優しさ」の溢れる社会を否定するもう一つの世界を日本社会は求めたようにも見えます。
古くから仮想を仮想のまま愛で親しむことに慣れた日本文化は、平行するもう一つの社会を形成するには絶好の土壌です。我々が望むからこそ日本のインターネットは単なる「第四のメディア」に堕することを拒否しているのです。「ネットの世界は広大」であり続けるために、政治や経済といった野暮なことになどネット住民は口を出さないものなのです。
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