ヴィンランド・サガと俺に訪れた悟り

リアルでこんなことを言うと確実に周りから「おめーまだそんな歳じゃねーだろーが!!」とどつかれること間違いなしなんですが、昔ほどラーメンをたくさん食べられなくなったり、一晩寝ても風邪が治らなかったり、確実に「老いたな俺」と思う機会が増えた今日この頃。このままいくとあと3年くらいでエネルギーを使い果たしそうな勢いなんですが大丈夫なんでしょうか。

そんなことを考えていたら幸村誠のヴィンランド・サガ作中でアシェラッドがトルフィンに語った言葉・・・確か「時間は常に若い者の味方だ、やがて俺は老い、お前に負けるだろう」的なの・・・を思い出しました。

「俺なんでこの台詞好きなんだろう?」とずっと気になっていたんですが、このタイミングでその台詞が頭に浮かんできた原因を考えた瞬間、突然その訳が理解できました。ああなるほど。アシェラッドが言っていたのは「人間にとって真に平等に与えられたものとは『時間』である」ということなのか、と。

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この観点でヴィンランド・サガを振り返ってみると、トルフィンの実に理不尽な人生はその信念に固執さえしなければ全く別のものになっていたんだと作者が繰り返し描写していたことに今さら気づきました。

彼が父の敵を討つことを放棄すれば彼の人生が全く別のものになるチャンスはいくらでもあり、実際に彼の父・トールズの死を目の当たりにした村の他の面々は今まで通りの生活に戻った様子は作中で幾度も描かれています。アシェラッドも上述のようにトルフィンにアドバイスを与えているほか、なかには彼の運命を変える手を差し伸べるべく十数年にわたって彼を捜し回ったレイフのような存在までいたにも関わらず、トルフィンの信念はその生き様が究極の破綻を迎えるまで全くぶれることがない・・・というのがヴィンランド・サガの前半部分です。

とはいえ作者の「『時間』を大切にね!」というメッセージは前半部分では常に巧妙に隠されており、先に挙げた人生を変えるチャンスも実際には最悪の相手だったりタイミングによってやって来るように構成されています。作者のストーリー構成力の見せ所と言っていいでしょう。

具体的には「生き方を見直せ」と何度も言っているアシェラッドはよりによってトルフィンを猛執に取り付かせている原因そのですし、レイフが現れたタイミングは更に巧妙に仕組まれ『トルフィンの名が徐々に知れ渡り、自分でも知らないうちに"カルルセヴニ"なんて通り名まで出来ていた』という最高の勢いの時に「村に帰ろう」と言い出す人物が現れたことになっています。

読者から見ても「おいおいオッサンそれはねーだろ」というわけで、トルフィンも読者も考える間もなくチャンスを棒に振る・・・というか作者の意図によって振らされているのです。「はめられた」と気づくのと、「こうやって勢いに任せて自分も人生の判断を間違えたことがあった」と思い当たるのは多くの人にとってほぼ同時なのではないでしょうか。

トルフィンほどではないにしろ、我々もまた、過去のミスの後始末をしながら時間を過ごしています。ミスを取り返し、もう一度反撃に転じるまでに最も必要なのは「若さ」つまり『時間』です。

さて、話をヴィンランド・サガに戻しますと、一つのクライマックスを終えた後もトルフィンの『時間』に纏わる因果は続きます。自由すら失ったトルフィンに唯一平等に与えられた『時間』。彼が人並みの生活や喜びを取り戻す、その全ての課程がかつてアシェラットが語った「若さ」を源にするものだと気づくまでの物語が、これまでの戦場とは対照的な静かな農場で進んでいきます。

この先どうなるか・・・は、まだ次の巻が出てないから俺も知りません。
まあ、「待て」と。

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いやあ、俺は馬鹿だから気づくのが遅れたよ。
ヴィンランド・サガ、こう考えたら今まで読んだ中で一番面白い漫画かもしれない。それで結局のところ自分もまだ若いんだっけと自問してみると・・・うーん、微妙。ただ「人間にとって真に平等に与えられたものとは『時間』である」という真理は、なんとなく今後の自分の生き方を左右していきそうな気がしています。

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このページは2011年11月 5日に書いたブログ記事です。

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